The Story of Serlachius JA
26.06.2024
セルラキウスとマンッタ市の歴史
マンッタ地方は、19 世紀には、今日と同様に人里離れた森林に覆われた地域でした。しかし、当時、現代のパルプ産業に必要なものはすべてそろっていました。川の急流つまりエネルギー、樹木つまり原材料、そして労働力です。1868年、薬剤師のG.A.セルラキウスがタンペレ市からマンッタに移り住み、砕木パルプ工場を設立しました。その後、セルラキウス一族は3世代にわたってこの木材産業の経営を続けました。
かつて、工業都市マンッタは、フィンランドで2番目に裕福な自治体であり、まさに夢のような町でした。マンッタ市とセルラキウス社は、フィンランドの幸福の模範として国賓にも紹介されました。時代は変わり、1986 年に家族の名前を冠した林業株式会社セルラキウスは、合併によりその名が消滅しました。現在、Metsä Tissue社はマンッタ市で紙の製造を続けており、1960年代にセルラキウスにちなんで名づけられたフィンランド人にお馴染みのSerlaブランドは、今でもトイレットペーパーやキッチンペーパー、ティッシュペーパーやベーキングペーパーなどの製品でよく目にすることができます。
マンッタの最初の社長 G.A.セルラキウスは芸術の愛好家でした。彼は何人ものフィンランド人芸術家の後ろ盾となりましたが、その中で最も有名なのは、フィンランドの国民的芸術家とも呼ばれたアクセリ・ガレン=カッレラでした。彼の作品は邸宅の展示でご覧いただけます。
G.A の後は、彼の甥の ヨスタ・セルラキウスが会社の経営を引き継ぎました。ヨスタはビジネスマンだけでなく、アートコレクターでもありました。彼は自分の名前を冠した美術財団を設立しました。財団はセルラキウス美術館を所有しており、13,000 点以上の作品がそのコレクションに登録されています。 セルラキウス邸宅の旧館は、ヨスタの自宅として 1935 年に完成しまし、そして1984年に全館は美術館として開館しました。
もう 1 つのセルラキウス美術館である「セルラキウス本社」は、マンッタ市の中心部にあります。2003年、林業会社の旧本社ビルにオープンしました。この建物は、ヨスタ・セルラキウスの厳格な監督のもと、1934 年に完成しました。
現在、マンッタ・ヴィルプーラ市は、芸術の街として知られています。セルラキウスに加えて、マンッタ芸術祭とマンッタ音楽祭がその評判を支えています。
邸宅の増築新館 – 木造建築と木造建設の傑作
邸宅の増築部分は 2014 年に完成しました。増築新館の設計を巡る建築コンペには世界中から 579 の応募が集まり、当時のコンペとしては、フィンランド史上最大規模でした。優勝した作品は、バルセロナを拠点とする建築家トリオ、エクトル・メンドーサ、マラ・パルティダ、ボリス・ベザンによって設計されました。この印象的な木造建築は、建築および木造建設分野で国内外の賞をいくつも受賞しています。
この木造の建物は、ほぼ完全に手作りの集成材の梁で支えられています。ファサードにはガラスと細かく挽かれたトウヒの板が交互に配置されています。地域の歴史に貢献してきたこのトウヒは、地元の林業の最も重要な原料であり、製紙工場でパルプの製造の際に使われてきました。
公園から島につながる橋も、同じ建築家トリオによって設計されました。
セルラキウスのアートサウナ
ユニークなアートサウナは、邸宅増築新館の建築家トリオ、エクトル・メンドーサ、マラ・パルティダ、ボリス・ベザンによって設計されました。サウナの建築の出発点は水平のラインで、その下半分は石、上半分は木でできており、サウナはそのラインの下にあります。サウナは美しい湖畔の風景に溶け込み、地形から目立たずに盛り上がっています。
内部空間は、美術と風景と建築の間の対話によって特徴づけられています。インテリアに使われている国内外のデザインは、見ても触っても興味深いタッチとなっています。施設のレイアウトはサウナ利用者を光と自然と美術を受け入れる旅へと導きます。そして旅の先には円形サウナが待っています。
アートサウナでは、少なくとも週に 1 回、一般の人々にサウナの機会が提供されています。
邸宅展示からの選抜作品
1階の展示
クロード・モネ
夕日の積みわら
1891年
クロード・モネの油絵「夕日の積みわら」は、間違いなく、ヨスタ・セルラキウス美術財団のコレクションの宝石の1つです。「夕日の積みわら」は、光と影の絶えず変化する性質を表す作品です。この絵画の信憑性については、サインが欠けているため、しばらくの間、疑問視されてきました。 しかし2015年の春、ユヴァスキュラ大学の芸術研究センター「レセナート」が最新の手法を用いてこの絵画を研究し、この作品が本物であることが確認されました。その色の顔料は、世界中で有名なモネの積みわらの絵画で使用されている顔料と同じでした。また、絵画の右下隅のペイントの下に「Claude Monet 1891」という署名も見つかりました。
レンナルト・ゼゲルストローレ
文学の誕生
1935年
ヨエンニエミ邸の図書館にある天井フレスコ画の名前は「文学の誕生」です。レンナルト・ゼゲルストローレは、1935年の春にア・セッコ、つまり乾いたモルタルの表面にこの作品を描きました。フレスコ画の中央には、作家を象徴する人物が地面に座り、膝に白紙を置いています。インスピレーションの女神が天才の炎を手に持ち、作家の上空を飛びます。作家の右側には幸福の象徴である男性と女性と子供がいます。人生の暗い面は左側に見えます。手前に横たわっている人影は、人間の壊れた幻想を表します。芸術家は、絵画の両極端に現実と想像の世界を描いています。北側では、建物の基礎が据えられ、工場が建設されています。これは、マンッタ市の産業開発者としてのヨスタ・セルラキウスの貢献を物語っています。反対側では、南国への休暇旅行を思い出させる幻想的な風景が描かれています。
男、ワイン瓶、タンバリン
フセペ・デ・リベーラ
1631年
ヨスタ・セルラキウス美術財団には、古いヨーロッパ美術の重要なコレクションもあります。 16 世紀から17 世紀にかけてのスペイン美術の黄金時代の代表作は、フセペ・デ・リベーラ(1591~1652年)の絵画「男、ワイン瓶、タンバリン」です。しかし、この作品は単なる祝賀の様子を描いたものではありません。それは感覚のアレゴリーです。タンバリンは音楽と聴覚を思い出させ、ワイン瓶は味覚を思い出させます。リベーラの作品には、イタリアのバロックの巨匠カラバッジョの影響が強く現れています。 『男、ワイン瓶、タンバリン』も例外ではありません。リベーラは自分の師であるカラバッジョから、光と影の描写における鋭いコントラストなどを受け継いでいます。
アンゼルム・キーファー
ヴァイナモイネン・イルマリネン
2018年
ドイツ生まれのアンゼルム・キーファー(1945年~)は、現代美術において国際的に最も著名な画家の1人です。ヴァイナモイネン・イルマネンはテーマにおいてもその規模においても傑作であり、キーファーの特徴がよく表れています。フィンランドの国民的叙事詩カレワラやその他の神話は、世界を完全たるものとして理解し描写しようとするため、数十年にわたってキーファーに影響を与えてきました。この芸術作品では、カレワラの予言者ヴァイナモイネンが潜水艦として描かれ、イルマリネンは空を作り出す飛行機として描かれています。
2階の展示
邸宅の2階の展示では、フィンランドの風景画やフィンランドの民衆の生活を描いた絵画をご覧いただけます。これらの作品の多くは、フィンランド芸術の黄金時代である19世紀末から20世紀初頭にわたって制作されました。民族としてのアイデンティティが高まったこの時期、芸術はフィンランドの国と国民のイメージ形成に影響してきました。この時代の著名な画家としては、アクセリ・ガレン=カッレラ、ペッカ・ハロネン、アルベルト・エーデルフェルト、ヒューゴ・シンベリなどが挙げられます。
ヘレン・シャルフベックの肖像
ヨスタ・セルラキウス美術財団のコレクションには、おそらく最も有名なフィンランドの女性芸術家、ヘレン・シャルフベック(1862~1946年)の作品が多数含まれています。シャルフベックはすでにキャリアの初期に、男性を見つめる女性という当時としては珍しいテーマを扱い、発展させました。通常、視線の方向は逆で、男性が女性、多くの場合は裸の女性を眺めていました。シャルフベックは、男性の描写においてモデルを率直に解釈し、誇らしげに規範を破ったのです。1920年代にこの画家によって描かれたモダニズムの肖像画は、質素な形と統一されたスタイルを持っています。絵画の中のモデルたちは物静かで、穏やかな心境に包まれています。
アクセリ・ガレン=カッレラ
グスタフ・マーラーの肖像
1907 年の秋、オーストリアの作曲家グスタフ・マーラー(1860~1911年)はヘルシンキを訪れ、作曲家の同僚であるジャン・シベリウスだけでなく、1904 年にウィーンで知り合ったアクセリ・ガレン=カッレラにも会いました。マーラー氏は、ヘルシンキ近くのキルッコヌンミにボートで向かい、建築家のエリエル・サーリネンとヘルマン・ゲセリウスが家族ととも定住していた森林の自宅アトリエのヴィットレスクに連れられました。そこでこの肖像画が描かれました。この作品はマーラー自身がモデルとして描かれた唯一の肖像画です。物思いにふける作曲家のその瞬間の描写には即時性があり、部分的にペイントされていないキャンバスによっても強調されています。
アクセリ・ガレン=カッレラ
問題(シンポシオン)
1894年
アクセリ・ガレン=カッレラ(1865~1931)は、フィンランドで最も重要な画家の1人です。彼は民衆の描写と国民的ロマン主義のカレヴァモチーフで知られています。マンッタ市の最初の社長であったG.A.セルラキウスはガレン=カッレラのサポーターとして活動しました。しかし、ヨスタ・セルラキウスにとってこの画家は友人でもあり、よく彼の作品をコレクションとして購入していました。
芸術家の生活の描写として有名になったこのガレン=カレラの絵画は、当時広く不評を引き起こしました。それは、フィンランドの文化生活の主要人物、ジャン・シベリウス、ロベルト・カヤヌス、オスカリ・メリカント、そして画家自身が明らかに酔っ払っている様子が描かれていたからです。絵の左側から皮をむかれた女性が取り除かれていますが、脚はまだ見えています。別の個人コレクションには、女性が大きな翼に置き換えられた他のバージョンもあります。スフィンクス、木星、そしてそれに向かって立ち上がる精霊の姿への言及から結論づけられるように、この絵はガレン=カレラの象徴主義的な作品に属しています。
邸宅のワインセラー
ヨエンニエミ邸宅は、製紙工場の所有者であるヨスタ・セルラキウスの私邸でした。 1936 年、わずか 16 歳のイリナ・ベクスバッカがア・セッコ絵画とワインセラーのガラス絵を制作しました。ガラス絵の間の壁に、彼女は、北欧の酒飲み歌の巨匠、リュートを弾いているスウェーデン人作曲家カール・ミーケル・ベルマンを描きました。その反対側にある暖炉の上の壁にはバッカスと古スウェーデン語で「Dyrkom vinets Gud」つまり「ワインの神を崇拝しましょう」という文が書かれています。若い年齢にもかかわらず、ベクスバッカはベルマンの歌の3つの最も重要な要素、つまりワイン、女性、歌唱を見事に表現しました。フィンランド人アーティストのハンネス・アウテレが家具、ドア、暖炉をデザインしました。アウテレのテーマであるフィンランドの庶民生活はユーモアを交えて描かれています。オーク材のドアには、蒸留酒の製造過程と飲酒の場面、およびアルコール摂取の結末が描かれています。また長いベンチの背もたれには、田舎のパーティーが描写されています。
レストランに飾った作品
ヘイッキ・マリラ
マンッタ市
2015年
画家ヘイッキ・マリラは、2015年9月にレストランGöstaの壁に「マンッタ」という壁画を作成しました。大きなアクリル画にはマンッタ市の地図が描かれています。マリラの意見では、この壁画の場所は理想的だといいます。なぜならこの作品は、レストランの中からはもちろん、ガラス壁を通して上のプラットフォームからも、そして暗くなったら窓を通して外からも見ることができるからです。ヘイッキ・マリラは、表情豊かな大きな絵画で知られています。彼の作品では、強い色と厚いペイント層が繰り返されています。題材は花から地図、宗教的なものまで多岐にわたります。
セルラキウス邸にあるハッリ・キヴィヤルヴィの彫刻
彫刻家ハッリ・キヴィヤルヴィは、特に暗い石に彫られた抽象的な作品で知られています。戦後フィンランドの彫刻家世代の中で、彼は芸術の中心的な革新者の一人でした。セルラキウス邸宅の増築新館の建設に関連して、キヴィヤルヴィの彫刻は、邸宅の庭と芸術家にちなんで名付けられたキヴィヤルヴィ・ホールに設置されました。環境に調和して溶け込む花崗岩と閃緑岩と大理石はハッリ・キヴィヤルヴィのお気に入りの素材でした。邸宅の庭園にある彫刻からは、キヴィヤルヴィ特有の作品の連続性が見受けられます。
ハンネス・アウテレの彫刻
邸宅とアウテレ小屋
ハンネス・アウテレ(1888–1967)はフィンランドの彫刻家でした。アウテレはセルラキウスのもとで月給で働き始めました。その前に、アウテレはマンッタ市の教会に30以上の木造作品を完成させました。邸宅の玄関のドア、窓枠、ワインセラーの彫刻は、おなじみのアウテレのスタイルを表しています。オーク材で作られた正面のドアのレリーフは、子ども時代から老年期までの人生の軌跡を表しています。その同じテーマは、四季を象徴する比喩的なモチーフで繰り返されます。ワインセラーのドアには、酒の製造過程と飲酒の結末が表現されます。セルラキウス邸の丸太小屋は現在、この彫刻家の名前を冠したサマーカフェとして機能しています。小屋のテラスには、フィンランドの民衆の生活を描いた6つの柱の彫刻が飾られています。カフェのオープン時には、ハンネス・アウテレの家具もご覧いただけます。